開拓者という使命に導かれた
G3 Histories
建材工事を背負う3人の男の成り立ち
時は20XX年、ある企業に3人の男が集まり、それぞれが職務をこなし平凡な日常を送っていた。
しかし、それは長く続かなかった。
社会の渦に飲み込まれそうなとき、一人の男が立ち上がり二人の男に声を掛け集結する。
後の≪G3≫である。
≪G3≫は理念に「笑い」を掲げ、今までにない会社を築く。
『建材工事』の誕生である。
プロローグ
1989年(平成元年)4月、当時大阪に本社のあるS社に勤務していた𠮷田裕志は鹿島営業所への転勤を命じられ、旧住友金属鹿島製鉄所構内作業所に着任。
この時期、本社経理部勤務を経て鹿島営業所工事部員として前年4月に着任していた小榑 勝、同年3月に入社、鹿島営業所に勤務していた勝田 章の3人が出会う。
当時、営業所には我々3名以外に50代のM所⾧が在任されており、20代前半の生意気盛り、失敗しまくりの我々に対して、本当に辛抱強くあふれる愛情をもって見守り、思い切り仕事に打ち込ませていただいたことを今でも忘れることができない。
主要7か国:G7(Group of seven)になぞらえて、創業当初メンバー3名をグループとした略称・・・のはずが、近年では、高年齢化に伴い身体のあちこちに不具合の出始めた社内年⾧組(爺3)を指す。
・G3メンバー
𠮷田 裕志 | 現 代表取締役 |
小榑 勝 | 現 取締役副社⾧、シートメタル事業本部⾧ |
勝田 章 | 現 シートメタル事業本部工事部⾧ |
2001年(平成13年)春、勤務していたS社が突然の廃業。
この廃業については、様々ややこしい事情があったようだが、ほとんどの従業員は事前に知らされておらず、突然の出来事に戸惑い、途方に暮れる人が大半であった。
我々も例外ではなく、今後の生活について否応なしに考えざるを得ない状況であったが、完全閉鎖までの間、その場に留まり、残務処理の対応で数か月間過ごすこととなった。
そんな中、取引先の方々からの心のこもったご支援、ご指導、協力会社社⾧さんたちからの熱い熱い激励、様々な方が親身になり、心配してくださり、出来る限りの協力を申し出てくださったこと等々、起業を奮起するに十分なお気持ちやお言葉を賜った。
しかし、すぐに起業するには準備が整わず、我々3名と協力会社は重要取引先のある方のご配慮で、SP社(前途のS社とは全く無関係)へ転籍、その後T社へと渡り歩くこととなった。
T社では事情を知ったうえで快く歓迎してくださったT社社⾧、鹿島支店⾧を始め社員の皆様に温かく迎え入れられ、同社の建設工事部所轄で、新たに設けられた「建材工事課」として業務を継続することとなった。
2003年(平成15年)、T社社⾧、鹿島支店⾧のご厚情により建材工事課が独立「有限会社建材工事」として工事請負業務を開始した。
T社様には、その後の営業活動において様々なご支援・ご協力を頂き、ビジネスを越えたご厚意を賜った。
このように、周囲からの本当に温かな温情に包まれて経営も次第に安定し、軌道に乗り始めた。
そうして創業10周年となる2013年には商号を「建材工事株式会社」と改め、資本金を1,000万円に増資した。
その後、2021年には資本金を6,000万円に増資し、更なる営業基盤の強化を図り現在に至る。
エピローグ
2023年創立20周年を迎えた現在、周辺を取り巻く経営環境は目まぐるしく変化し、当社主要事業における収益への影響も決して小さいものではありません。また、働き手不足も深刻な問題として存在し、業界全体としてこれまで経験した事のない様々な問題に直面しています。
これまで通用していた事が通用しなくなっていることへの気づきを全員で共有し、諸問題に対応してゆかなければなりません。
その為に、これまで積み上げてきたことを先入観無しに点検し、アップデートや場合によりリセットが必要となるでしょう。
これらのことを的確に対処し、変化を恐れず、時にチャレンジすることも、必要なことは全部やっていきたいと考えます。
そして、時代の変化に柔軟に適応し、30周年、50周年と事業を永続させ、社会に根差して参りたいと考えます。
そして、次世代のG3、G5へ・・・
新たな開拓の物語は続く